紅ミュージアムレポ 口紅編

紅について

ずっと行きたかった場所

紅ミュージアム

に行ってきました。

紅ミュージアムとは

江戸時代から続く最後の紅屋 伊勢半本店さんの資料館です。

1825年から、今にまで続く紅の製法、お化粧品の歴史や文化を学べるミュージアムです。

メイクアップ品として定着している口紅には、長い日本の歴史があることを知りました。

紅が出来るまで

紅は、化学反応を利用して赤色色素を取り出します。

紅花の花を摘み、紅餅にします。

この加工された紅餅が、紅屋に卸されます。

この紅餅から赤色色素を、抽出します。

紅作りの技は、紅屋の秘伝があり、口伝形式で継承されてます。

一定量の赤色色素を得るには、多くの紅餅や技が必要となり、収量や品質の差は職人の技や経験によるところが、大きかったようです。

化粧紅ブランド

江戸〜明治時代、口紅を表す化粧紅は、シンボルとされた商品イメージのブランド名がありました。

それは、小町紅 です。

美女の代名詞 小野小町 にあやかってつけられた商品名だそうです。

化粧紅のブランドイメージに相応しい 美 を連想させていました。

同業者間で共有された名称で、

18世紀後半に使用が確認されてから、19世紀以降、小町紅は京都土産の定番となり、

知名度やブランド力は、広域に及んだようです。

キスミーブランド

私のポーチに入っていて、常に持ち歩いているキスミーさんのピンク色の口紅♡

キスミーブランドは、

この江戸時代から続く最後の紅屋 伊勢半本店さんから出たブランドです。

2014年に紅ミュージアムで、キスミー化粧品の歴史を振り返る企画史展があり、その冊子が販売していたので、購入してきました。

先ほどの口紅の説明も掲載されてました。

キスミー化粧品は、価格帯もお求めやすくて身近なメイク品として愛用されてます。

メイクポーチの中覗いてみたら、キスミー化粧品あるかもしれませんよ。

口紅の変化

明治の開国以降、日本の化粧品業界は西洋文化を取り入れて、中身の品質、外見、デザインに変化が出てます。

大正6年 1917年に、国内初のスティック状口紅が誕生しました。

今や当たり前のスティック状の口紅ですが、

これは西洋文化が入ったきたことにより出来上がったデザインです。

それまでは紅屋で、紅を器に塗ってもらって紅刺しをしていたようです。

この頃から、オシャレを楽しむための自由なお化粧が出来るようになりました。

それまでは、オシャレというより、お化粧は、身分などを表すための社会的秩序の一つでした。

自由にメイクが出来ないなんて、つまらないですね(涙)

口紅からみえる日本のメイク文化

第二次世界大戦後1945年の昭和中期あたりから、今日のような基礎化粧品やメイクアップ化粧品が当たり前に定着されたそうです。

メイクアップが多様化されて、自由に選択もできる様になったり、メイクの流行りもあったりと、今の時代とも変わらないメイク文化がこの頃からありました。

世のLadyたちはいつの時代も美に関心があり、自由にメイクアップをして、自己表現をして楽しんでいる姿が目に浮かびました。

今はマスクでマスク口紅を付ける機会が減ってしまいましたが、

口紅を付けたお顔と、付けてないお顔だと、印象は全く異なります。

口紅を付けるだけで、お肌の血色も良く見えたり、華やかさも増します。

お肌の色によって似合う色は異なりますが、

どちらにせよ、

口紅をすることで、鮮やかなリップに目がいき、お肌のちょっとしたニキビだったり、目の下のクマだったり、シミだったり、、、から視線が外れる効果があると思います。

早くマスクが外せる様になり、口紅メイクを楽しめる日が来ることを願うばかりです。

先ほどのピンク色の口紅は、塗るとこんな感じになります。

大好きな鮮やかなピンク色のリップで、気分も上がります♡

美肌づくりは、直接のお肌のスキンケアをはじめとして、

頭皮や全身のケア、食べ物、生活習慣、、、などなど、様々なアプローチから考えていくことが必要です。

あなただけの美肌づくりを考えさせていただきます。

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